通訳案内士になるまで

英語学習について

まずは反省

いきなり現場のガイディング、そしてお次は中国人観光客を相手に荒稼ぎする中国資本のことを書いてきましたが、ここにきてなぜか自分が通訳案内士になるまでの流れを書いていこうかと思います。最初の方でやっとけ、っちゅう話ですね。構想なしの行き当たりばったりですみません。

ハードロックとの出会い

十代の頃は、なんとなく将来は英語を使った仕事が出来ればいいな、と思っていました。しかしながらある時同時通訳の職業について調べてみたら、通訳者になるためにはものすごく狭い門をくぐる必要があることを知り、その夢をすっぱり諦めました。切り替えが早いともいう。

ちなみに、よくお客さんから「どうやって英語を学んだの?」と訊かれますが、自分の公式設定では「ロックで英語を学んだ」ということにしています。実際、十代の頃は70年代ハードロックを中心に聴きこみ、歌詞カードを見ながら歌ったものでした。ただし、歌唱力自体は最底辺。中学の音楽の授業で校歌のテストがあった日にはどうやって学校に行かないで済むかを真剣に考えていた。成就せんだったですが。飽くまで、英語で歌うことが好きだっただけですw

英語の発音を身に付けるのにはかなり効果があったと思っています。好きなバンドはUFO、Michael Schenker Group、Deep Purple、Rainbow、Led Zeppelin、Black Sabbathなどといわゆる王道のブリティッシュ・ハードロックで、湿り気があり物憂げなサウンドが特に好きでした/です。

ロックというかポピュラー音楽の歌詞はそんなに複雑ではないので、まさに基本を習得するにはうってつけ。そういえば、大学の講義でもやってましたね。で、更にギターも弾き始めてどっぷりとハードロック・ヘヴィメタルに浸かっていくわけですが、ここは割愛w

発音について

とにかく、歌ってる発音を真似することで英語の感覚を身に付けて行きました。「r」「th」が特に苦労したのを覚えています。ひたすら練習した。その途上では、「s」をも「th」で発音するクセがついてしまって修正するのに苦労しました。この修正を出来るかどうかというのは、英語を話すことにおいて重要です。まず、自分がどんな発音をしているかを自覚する能力・意識があるかどうかということ。

よく見かけるのが、“アメリカ英語っぽく話そうとするあまり、なんでもかんでも「r」を入れて発音してしまう”人たちですね。たとえば、 roadlord と同じく発音したり、酷いのになると school の発音が schoorl というのも実際よく聞きます。とにかくどんな単語でも口の中は「r」の発音をしようとしているというw

これを解決する案が、実は上記のブリティッシュ・ロックの中にありました。彼らはイギリス出身、ということは語尾の「r」を発音しません。たとえば、star wars は米英語では「スターr  ウォーrズ」と巻き舌になりますが、英英語では単純に「スター ウォーズ」です。VHSの中で彼らのインタビュー映像を見ると、今まで学校で学んできたり映画で観てきたようなアメリカ英語とは全然発音が違うじゃないですか!これは・・・!

ということで、イギリス発音で行くことにしました。のちにオーストラリアの人たちと知り合っていくにつれて、オーストラリア風味も加えることにしました。もちろんアメリカ風の発音も残っています。なので、自分の発音はごった煮闇鍋とでも呼びましょうかw

20代から30代の学習
-王道の英検とTOEIC・その他ー

20代終盤で県外にて4年間を過ごしました。その頃からまた英語の勉強を少しずつ再開し、高校生の頃に取ってなかった英検2級を取得。そしてTOEICを受けてみると755点。ただし、これは英語を話すための勉強ではないと感じてそこから受検したことはありません。

英語の“腕前”と“試験のテクニック”は上がりましたが、英語を話す能力の上昇を目指すのならば、この試験を意識した学習をすることはオススメ出来ないですね。ただ、もちろん英語の実力は上がります。ここで築いた基礎を、のちの学習で実際のガイドの現場に活かせるようになったと思います。

そして勉学を重ね準1級に合格。ここまでは単語・熟語を覚えていくだけでよかったと思います。確かここらで八代に帰って来たと記憶しています。帰ってきてからの学習は、実家にインターネット環境を整えてSkypeによる外国人との会話や、実家での農作業中にポッドキャストでヘヴィメタルの番組を聞く、DVDを借りてきて海外TVドラマや映画を観る、などでした。インターネットの普及が英語の勉強方法を変えた。

2008年のいわゆるリーマン・ショックを機に再就職をし、ここでの業務で五家荘に関わることになるわけですが、そこで県の外国人観光客誘致事業に関わる機会を得て10代の頃の青雲の志を思い出し、通訳案内士になってみようと決意しました。重要な出会いがあったことも非常に大きかったです。

ちなみに、職場では自分が英語をある程度話せることに関してはほとんど評価されていなかったように感じましたwww

通訳案内士への道

大転機となる移住

そこからさらに五家荘への移住、そしてそこで3年間働くなかで通訳案内士試験に臨み、初の受験では残念ながら地理が合格点に達せず不合格。そして満を持して次の年に一週間みっちり学習して二回目の試験で合格しました。長期の学習が出来ない不真面目な人間なんで、つめこみで勝負しました。

これが2013年のことです。2014年3月に通訳案内士として登録。県庁の観光課に行って所定の手続き・手数料支払いを以て登録証の交付に至る。そしてその際に登録者一覧を閲覧して、熊本県には現役の通訳案内士があまりいないことを知る(ニヤリ

通訳案内士としてデビュー

通訳案内士の登録後、県の外国人観光客誘致事業を通じてドイツの旅行会社から仕事をもらい始め、勤めをする傍らガイド業を行ない始めました。平日は貯まっていた有給休暇を使用したり、平日に休んだ分を日曜日に出勤するなどして上手くやりくりしながら実績を重ねました。

そして2015年の3月に勤めを辞め、4月からほぼ専業のガイドとして事業を開始したわけです。不惑を前にして個人事業主としての出発です。他にもガイドやインストラクターをしながらなので、完全専業ではありませんが、特に通訳ガイドというのは繁忙期には仕事があるが閑散期(梅雨・冬季)には全く仕事がないため、他にも収入の道を作っておくことが重要なのです。

軌道に乗せるまでが大変

現在は、先述のドイツの旅行会社だけではなく、自分のサイトを通じて直接仕事を受注したり、熊本県内のガイドの皆さんと情報を共有して仕事を融通しあったりと色んな方策を取って仕事を得るようにしています。

とにかく、最初は自分で個人客の仕事を取ってくるのは難しいことです。今では個人客(FIT)とガイドを結びつける、いわゆるマッチングサイトもあるので、仕事を得るのは以前に比べて比較的容易になったかもしれません。自分は登録してませんがw なぜかというと、結構大きな額の手数料を取られるのが嫌だからです(きっぱり)。

まだまだきちんと軌道に乗せたとは言い難い状況ですが、何とか忙しい時は忙しい状況を作り出せています。とにかく、人との出会いに感謝。良い人・出来るたちに巡り合ったおかげで、そこから更なる転機が訪れました。

ただし、そこから伸ばせるのはもちろん自分自身です。個人事業主として営業しているので、誰か上役がいて世話を焼いたり管理してくれることは絶対にないのです。その分、仕事のやりがいはあります。やればやっただけ形になる。

通訳案内士としての業務の詳細はこれからブログで書いていこうと思います。どうぞよろしく。

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