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国勢調査

市政協力員であり、ムラの区長であり、民生委員の役も引き受けているのである。さらに言えば、共有財産区の理事と消防団の部長でもある。

山奥の限界集落にはもはやほとんど若者がおらず、こういった役は残った「比較的若者」にざんぶと覆いかぶさってくる。44歳の男はまだまだ尻の青いヤツとして扱われているのだ。

そして今回、国勢調査の役を引き受けた。COVID の影響で通訳ガイドとしての仕事がなくなっていたこともあり、10月に何か出来ることを作っておこうと思ったわけ。

調査の準備

本来ならば、役場で行われた合同説明会に参加して調査のやり方と資料の見方などを学習する必要があったとばってん、残念ながら日銭を稼ぐことに汲々としていたので行かなかった。ちゅうか、ここから説明会の会場まで車で1.5時間も掛かるのである。行ったら帰る必要がどうしてもあるわけで、3時間の運転に掛かる労力と費用を考えると、どうしても単なる説明会に行く合理的な理由を見いだせなかった。

説明会に行く費用

60 (km) * 2 / 7 (km/ℓ= 山道を走行する際の平均的な燃費) ≒ 17
17 * 142 (ハイオクガソリンの最近の1ℓ価格) =  2,414 円

うむ。無職だったり日雇い労働者だったりする身分には避けたい出費だ。

担当地区

今回担当するのは、居住する椎原地区に加えて「板木・保口」「葉木」「仁田尾」の 3 地区。中でも厄介なのが「仁田尾(にたお)」。ここは 1 地区とはいっても密集したムラではなく、数軒ずつの部落がいくつか点在しているという場所。

下の図のような感じで部落が大体4か所に点在している。それぞれの部落の間は車で10分とか25分掛かる。家と家の間でも3分以上は当たり前。およそ20軒くらいだろうか。

ここを攻める前に、まずは個人的に最も馴染みのない「板木・保口」地区を回った。ここは五家荘地域には含まれているが、住所としては五家荘ではないというちょっと変則的な場所に位置している。

しかしながら、五家荘成立の言い伝えにおいて重要な役割を演じた場所でもあり、古からの家系もごく最近まで存在していた。

「最近まで」というのが、この地区は今年7月の豪雨で道路が「飛ぶ」(陥没どころではなく、道路が「無くなってしまった」という)という甚大な被害が出て、いくつかの住人はここに住むのを諦めて外部に移住したということだった。

車を降りて、歩いて家までの「階段」を上って行くと、そこには顔見知りのおばさんがいた。最初の調査対象で資料と端末の見方・使い方を確認する。そして次の家には幸運なことに、4軒分の人が集まってお茶を飲んでいたため、一気に調査が出来た。

貸与された iPhone を使用して回答を入力する。しかしながら、この iPhone というのが物凄く使いにくい。入力枠から次の枠までの移動はひどくモッサリとしとるし、「戻る」ボタンはないし、物理〇ボタンが付いている始末。はっきり言って、なぜこのような代物がありがたがられているのか理解に苦しむ。

Android 最高!

時代に取り残された場所

この家にはまだ囲炉裏があり、冬場に暖を取るのはもちろん夏場に孫が帰ってきた時には BBQ をして楽しむそうだ。俺も囲炉裏に憧れたばってん、息子のことを含めた安全性を考えると、やはり現代の生活の中に取り入れるのは難しい。

この家の主のおばさんは独りで住んでいるために、いつしか住み着いた猫(クロミとシロミ)を可愛がっているとのこと。ここで小一時間おばさんたちと話し込んで、次の家に向かう。歩いていけるとのこと。

↑ がその「歩いていける」道だった。
もはや “日本昔ばなし” にしか出てこないような風景だった。うーん、うちのムラにはない。

そして目当ての家での聞き取りを終えると、吊橋を渡って道路に出た。この道路の先は崩壊しているために通行止になっている。

あと1軒を訪ねたが不在。まあ、知っとる人だしどうにかなるど。残りの1軒は通行止のために行けない。ものすごく遠回り(車で2時間)すれば行けないことはないが、1軒のために燃料と時間を掛ける意味はない。

というわけで、こんな感じで少しずつ回って行きよります。先は長い。