11/4から11/5に日付が変わる直前(23:47)に電話が掛かって来た。もしかしたら、近所での飲み会の誘いか?だったら取らない方が…と逡巡したものの、それにしてはやけに遅い時間だと思い(飲み会だったら遅くとも8時台前半までには掛かってくる)電話を取ると、なんと火事で消防団出動の連絡。
てーへんだ、てーへんだ!というわけで、遂にやってきた。これが自身初の「民家の火事」における初出動。これまで、山火事・山での遭難者捜索での出動は何回かあったとですけどね。というわけで、泉方面隊第七分団の出動。
消防の制服は前に住んでいた家に置いてあり(車で2分)、急いでそれを押っ取り着替える。青地の制服上下に耐火性の法被上下を羽織る。積載車(消防団所有の、ポンプを積んだ消防車)の所に行くと、既に到着していた人から「それじゃ暑いぞ、一枚は脱いでもいい」と言われ、なるほど確かに火事では暑いんだろうと制服の上着を脱ぐ。
もう一人が到着して積載車で急行。他の団員はそれぞれ私有車で向かっている。現場は俺が住むムラである椎原から車で20分くらいの隣の地区だ。他の団員は椎原から12~15分ほど離れた所からやってくるので、火事発生から既にかなりの時間が経っている。
積載車で向かう途中、他の地区の第八分団の積載車2台が追いついてきた。椎原から25分離れているのに。かなり早い対応だ。
火事の現場である久連子地区に到着。炎を上げて民家が燃えていた。もう全焼は確定なので、これから出来る仕事は延焼を防ぐこと。少し離れているとはいえ、民家もあるし何よりここは山の中で乾燥した時期だ。山火事にもなりかねん。
積載車を降りて……実は俺はまだ消防団において火災での対応を訓練したことがなかった。ポンプやホースの使い方も知らん。運のいいことに現場のすぐ近くに防火水槽があったため、そこからホースを引いて放水開始。補助作業くらいしか出来ん。
で、途中で放水作業を交代して自身初の放水作業。放水ホースの先についているノズルは、出口を開けたり狭めたり出来る。これで水流をまっすぐにしたりシャワー状にしたりと、状況に応じた放水を可能にしている。
もう建物自体はかなり燃えていたために大きな炎は割と早く鎮まってきた。あとはところどころに残った小さな炎を完全に消してしまうこと。そのために邪魔な瓦礫を撤去して炎に水が掛かるようにする作業が必要になってくる。
支給品の耐火手袋をしていたので、おそらくかなり熱いであろうトタンや燃えた柱なんかも平気で掴める。ちなみに、靴も支給品の耐火ブーツだ。ただし、他の分団員全員が旧来の支給品である長靴や自前の長靴を履いていた。
大分消火が進んだ頃に消防隊が到着して本格的な鎮火作業が開始される。消防隊は現場から1時間30分ほど離れた場所からやってくるのだ。それでも同じ“町内”なのが山奥。
消防隊が引き継いだあとは、寒かった。消火活動である程度水を被っていたのと、11月に入って最も気温の低い日が訪れようとしていたのである(現場で3度くらいか)。時刻は午前3時。とにかく寒い。上着を着てくるべきだった。
第七分団員4名が鎮火確認のために残って、積載車で来た俺たちは帰宅。時刻は間もなく4時というところだった。とにかく寒くて腹も減っていたが、音を立てて家族を起こしてはいけないと思って自室でファンヒーターを付けて温まっていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
燃えた民家はすでに何年も前に空き家になっており、その持ち主も昨年あたりに亡くなっていた。話によると、その持ち主の息子さんか誰かがたまに帰ってきて清掃などをやるそうで、もしかしたらそこで火の不始末か、電気製品の問題があったのかもしれない。特にプラグが外れかけていてそこにホコリが溜まったところに静電気によって発火…と書きかけたところで調べてみると、「トラッキング現象」というものを見つけた。
溜まったホコリが湿気を吸い込むことにより漏電→発火という現象のことを云うらしい。静電気じゃなかとね。乾燥した時期に起こりやすいと思ったら、逆に6-8月に起こりやすいとのこと。まあ、年間を通じて発生しうる現象であることには注意が必要だけれども。
火事を起こせば、己の問題だけではなく、立地によっては近隣の人の生命・財産までも失わせることになりかねないので、最大限の注意を払って防止に努めましょう。